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「あなたのかかりをしようよ! 自分と周りを幸せに出来るよ」 |
「そういうときは自分が昔書いたものを読むといいよ」
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とはいうものの、自分が昔書いたものは読めませんでした。
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あるとき読んでみようかな、という気持ちになりました。
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毎日、ごろごろするか、ぼけっとするかしていた自分の、ちょっと前の姿がまぶしかったのです。
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書くことが自分を救ってくれた瞬間を思い出しました。
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頭の中が高速で回転している様子や書いている最中や書き終えてからの高揚感が
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何年もやっているのでそれなりに上手くなりましたが、何かが不足していました。
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わたしの作品はもしかすると迎合していたのかもしれません。
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自分の作品に対する信頼感がないことが問題なのです。
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作品が移り気で一貫性がないのは、自分そのものが移り気で一貫性がなく、見栄っ張りだからなのです。
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評価を気にして作品を書くのは、人に合わせて自分の考えを変えていた小さい頃と同じだったのです。
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友達や恋人に気に入ってもらえるように行動する自分は、編集の人に気に入られるように書く自分と同じだったのです。
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自分って、小さいころからちっとも変わってなかったんだ。
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その頃、夕方になると、奮い立たせるようにしてマラソンに出かけていました。
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走りながら、怒りのような悲しみのようなものを吐き出していました。
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絶対に越えなきゃいけない壁のような気がしたのです。
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小さい頃の自分をふりかえったりここに来るまでの自分をふりかえりました。
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昔書いたもの、教師時代のもの、実家に帰って心配する両親に頭を下げ、子どものころの文章を読みました。
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体を張って、子どもが表現する絵画や作文を応援したい、と思いました。
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そして、気を使う子どもだった自分をもっと開放したいと思いました。
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子どもたちのためだけじゃなく、自分のためにも表現塾を開きたい。
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そのとき、わたしは一つ、心に決めたことがありました。
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かつてのように『教える人』という役割にどっぷりつかるのではなく、いつまでも『書き続ける人』でいよう。
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自分のイメージとして教える人こそ『挑戦し続ける人』なのです。
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さらに、その『書き続ける人』とは、楽しんで書く人、なんです。
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子どもにとってそこが安全で安心して書ける場所であるには、
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矛盾しているようですが、「書き手」の気持ちを忘れず、かつ「楽しく書く人」でなければならない気がしたのです。
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苦虫をつぶして書くのではなく、その楽しさを全身からみなぎらせる必要があるのです。
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これは、わたしにとってものすごくハードルの高いことです。
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以前、子どもがいたずらでわたしがかいている横顔を写メールにとったのですが、怖くて近寄るなオーラーがびしびし出ていました。
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そんなわたしに楽しくかけるのかな? そんな心配がありながらも、作文教室の企画をたて、いろいろなところで少しずつ話をしてみました。 強制しない。比べない。否定しない。 「こんな場ができるといいんですけど」具体的な内容よりも、真っ先にこのことを語っている自分がいました。
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