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「あなたのかかりをしようよ! 自分と周りを幸せに出来るよ」 |
「○○のせいだ」
でもあるときこんな言葉がもれる。
「ぼくだって悪いんだけれど」
すかさずそれを承認する
「すごい」「潔い」「美しい」
ぼくはそれをクラス全員に返す。
「○○ちゃんが『ぼくだって悪いんだけれど』って言ってたよ」
拍手が起きる。
こうやって少しずつ他人においていた責任を自分へととりもどしていく。
そうすると気づく。
誰も悪くない。
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自分の中の嫌だったことを伝えてたりすればいいんだということを。
9月過ぎるとずいぶんこの言葉も減る。
それでもまだ何人かに、根強い抵抗がある。
そのときにはこんなことが起きる
「オマエのせいもあるかもよ」
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せいにされた子が先んじてこういうんです。 「自分のこういうところは悪かった、ごめん」
そう、ほとんどの子がこういっちゃうんです。
「○○のせいだ」っていっていた子も
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周りを見て最後はぽつりとこういうんです。
「自分もこういうところは悪かったかもしれない」
みんなが自分のこういった部分は悪いかもしれない
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って分かると教室が劇的に変わります。
小学校は社会の底辺です
世の中の入れ籠になっています。
ということは世の中が変わると言うことは
こういうことなんじゃないでしょうか
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